法話

「我以外皆我師」

「わたくし以外は皆わたくしの師である」

これは作家吉川英治さんの言葉です。社会的地位などをすべて度外視し、あらゆる人を敬い、謙虚になることは大変むずかしいことではないでしょうか。「法華経」に次のようなお話がございます。  

とりの比丘(出家者)がおりました。その名を常不軽(サダーパリブータ)と言いました。この比丘は、同じ比丘や比丘尼や在家の信者を見るたびに礼拝し、このように言ったそうです。

「私はあなたたちを敬い、軽んじることはございません。なぜなら、あなたたちは皆、菩薩道を実行して、やがては仏になられるからです。」

しかし、礼拝された比丘や信者たちは、必ずしもよろこびませんでした。彼らは自分がそのような礼拝讃嘆される存在とは考えていなかったためです。ある者は杖や木をもって打ってかかり、ある者は瓦や石を投げつけました。それでも常不軽は続けました。

やがて、常不軽は大神通力と自由自在に語る力と大いなる禅定力を得、彼を馬鹿にしていた比丘や信者たちも、「常不軽菩薩」として崇めるようになったのでした。このお話は、他人を尊敬することがいかに難しいかを教えてくれます。  

ある経典は、「一切衆生 悉有仏性(一切の生きとし生けるものは、ことごとく仏になるべき可能性を有する)」と説きます。人を社会的地位や貧富・貴賎で判断することなくあらゆる人に同等に接することは、仏教興起以来2千有余年、一貫してとられてきた教えでもあります。  

たとえどんな人でも仏(完全なる人格者)となる可能性を持っているのですから。